ログイン私が駐車場に向かうと、真藤くんはすでに車のエンジンをかけており、今にも走り出したそうにしていた。
「真藤くんってすごいんだね。あのシミを取っちゃうなんて」
「おつぼねさんが言ってたんス。聖水ぶっかけて紙に写し取って来いって。でも、あのシミも聖水はヤベェって気付いてたのか逃げ回って大変だったっス」「え? あの間も動いてたの!?」見たかった。
動くシミなんてそうそう見れるものじゃないだろうし。「紙見たらまだ動いてるんじゃないっスか?」
「そうかな?」ワクワクしながら足元に置いてあったアタッシュケースに手を伸ばす。
たかが紙一枚、と思う反面、それだけ厳重にしまい込んでおかなければいけないほど危険なのかなという緊張感も覚える。ゆっくりとアタッシュケースの蓋を開けると、中にはひとつの瓶が入っていた。
よく砂浜に打ちあがっているボトルメールのような状態で中にあの紙が詰められている。 ひとつ違っているのは、その瓶の中になみなみと液草むらの中を進むこと数十分。 ようやく辿り着いた洋館の外壁はツタで覆われ、窓ガラスは割れ、ホラー映画にでも出てきそうなおどろおどろしい雰囲気に満ち溢れていた。「もしかして、入るの?」「もちろんっス!」 いつもなら逃げ出す真藤くんが、今日はなぜか先陣を切って進んでいく。 結城ちゃんは結城ちゃんで夢の図書館に魅入られてるけど、真藤くんも何かしらのモノに憑かれているんじゃないかと思うくらいの豹変ぶりだ。「お邪魔しますっスー」 真藤くんは入口の扉が外れていて押しても動かないと察すると、思い切り体当たりをして強引にこじ開けてまで中へ入り込んでいく。 扉の隙間から見えた建物の内部に私は息を呑んだ。「ここ、夢で見たお屋敷と同じです」 かなり荒れ果てているが、中の構造には見覚えがある。 リーリエちゃんが出迎えてくれた玄関ホールだ。 真藤くんを追いかけて恐る恐る中へ入ると、夢で嗅いだのと似た甘い匂いがふわりと鼻先をくすぐった。 壁には亀裂が入り、建物全体が埃っぽい。 飾られている絵画はずいぶんと色あせているし、ここが廃墟になってから長い時間が経っているようだ。 ボロボロながら原形を留めていたソファーに積もった土埃を軽く払うと、小津骨さんは羽織っていたカーディガンを敷いてから結城ちゃんを座らせた。 流れるような動作に思わず惚れてしまいそうになる。「うわっ、危ないっス!」 本棚のある広間の方へ向かっていた真藤くんが声を上げながら後ずさった。 何事かと思って近くへ行ってみると、腐った床板に大きな穴が開いているではないか。「危うく落ちるとこだったっス……」「こんな所でケガしたら洒落にならなさそうだから気を付けてね? 廃墟探索をしてた人が錆びた釘を踏み抜いて敗血症になったんだったか、そういうような話を聞いたことがあるし」「マジっすか!?」 真藤くんの顔がスッと青ざめる。「命の危険があるぶんお化けより怖いよね」
私は帰宅するとすぐに枕の下へ本を押し込み、ベッドに寝転んだ。 いつもより早い時間だからまだ眠気はないけれど、ゆっくりと深呼吸をして眠りにつく努力をしてみる。「あ。入れた」 気が付くと私は夢の図書館にいた。「お久しぶりです」「また来ていただけたのですね。光栄です」 リーリエちゃんと睡さんが私を出迎えてくれる。 けれど、二人の目つきは以前と比べてなんだか鋭い。「前回とは違う本からお越しになられたのですか?」「……あ、はい。私が持ってた本は違う人に貸しちゃってて、別でこの本を持ってる人がいたからそれを借りてここへ来たんだけど」 私の言葉を聞いた二人はひそひそと言葉を交わしてから私に向き直った。「申し訳ございませんが本日はお帰りください」「えっ?」 私が理由を尋ねる前に図書館は消え、世界は光に包まれた。 夢から強制退室させられるなんて初めての経験だったから、驚いて目が覚めてしまった。 どうしよう、結城ちゃんを捜すっていう役目を果たせなかった。 もう一回寝直せば大丈夫かな? 眠気が早く来るようにホットミルクを一杯飲んで、改めて布団に潜り込む。 しかし、その晩に私が見たのは特に印象に残ることもない普通の夢だった。「ごめんなさい。役立たずでした」 私は伏木分室に入ってすぐ頭を下げた。 三つの影がいいのいいの、と私を庇ってくれる。 ……三つの、影?「結城ちゃん!?」「俺が見付けたっス~」 ドヤ顔はムカつくけど、すごい活躍。 結城ちゃんは昨日よりさらにやつれていた。 耳なし芳一の話を信じるなら、命を取られるのは七日目。 つまり明日だ。 見ていて痛々しい姿だけれど、今日は夢の図書館に繋がる本を持ってきている。
病院に運び込まれた結城ちゃんは、いくつかの検査を受けた結果、単なる寝不足でしょうとの診断を受けた。 でも、本人は昨日一日を寝て過ごしてたって言ってたのに……。「なんだかあれね。耳なし芳一の話みたいね」 伏木分室に戻った小津骨さんがぽつりと漏らした。 耳なし芳一。 聞いたことあるな。 目の見えない琵琶法師の芳一が偉い人の家に気に入られてお呼ばれするようになったので喜んで通っていたら、日に日に衰弱していって。 和尚さんが心配になって後をつけてみたら墓場で亡霊に囲まれながら平家物語の弾き語りをしていた、みたいな話だっけ。「あの話、どんな終わり方したんでしたっけ」「これ以上通ったら命を取られるからって和尚さんに全身にお経を書いてもらって、亡霊から見えないようにしてもらったのに耳だけお経を書き忘れたせいで亡霊に見えていた耳だけ持っていかれて終わりじゃなかったかしら」「あー! なんかそんなオチでしたね」 壇ノ浦の亡霊とリーリエちゃんたちは別物なんだろうけど、毎日通っているうちに衰弱していくってのは似てるかも。 そう考えるとちょっと心配なんだけど大丈夫かな?「どうにかして本を回収した方がよさそうね」「そうですね……。すみません。私があの本を持ってきたばっかりに」「いいのよ。むしろ誰にも言わずに香塚さんが持ち続けていたら、香塚さんが原因不明の体調不良になっていたかもしれないし。そうなっていたら助けようがなかったわ」 小津骨さんの言う通りだ。 自分一人で解決できないかなと思ったりもしたけれど、そうしていたら本当に原因不明で大変なことになっていたかもしれない。 その時、電話が鳴った。「大変。結城さんが病院からいなくなったらしいわ」 今日一日は病院でゆっくり休むように言われていたはずなのに。 なんだかとても嫌な予感がした。「私、ちょっと結城さんの様子を見に家へ行ってくるわ」「お願いします!」 こ
「……っていうことで、この本を近くに置いて寝ると夢の図書館に行けるみたいなんですけど、栞がずれるっていうのが結び付かなくて。小津骨さん、どう思います?」「どう、って言われると難しいわね。その『夢の図書館』っていうのがみんな共通して同じように見えるのかもわからないし、まして香塚さんはメガネをしてない状態で行ったんでしょう? それなら正しい姿が見えていない可能性もあるわ」 小津骨さんの言う通りだ。 瀬田さんからメガネをもらったのはいいけれど、メガネをかける習慣がないと忘れちゃうんだよね……。「香塚先輩、もしよかったらその本貸してくれませんか?」 結城ちゃんはこの本に興味を持ったようで、革張りの表紙を撫でてみたりページをパラパラとめくったりしている。「結城ちゃんなら霊感も強いみたいだし、お願いできるかな?」「そうね。危険を感じたらすぐに関わるのをやめてもらって、瀬田さんか誰かに相談するようにしましょう」「えぇ……、絶対なんかあるっスよ。やめた方がいいっス」 ビビリの真藤くんは一人苦い顔だ。「何かあるんだったら私がどうにかなってるはずだし、そんなに怖がることないと思うんだよね」「何ともないのはこーづかさんが鈍感だからっス」 ナチュラルに失礼なことを言った真藤くんを小突いてその日は終わった。 翌朝、結城ちゃんは満面の笑みで出社してきた。「行けましたよ~。夢の図書館!」「どうだった?」「聞いてた通り、大きなお屋敷いっぱいに本があって、男の子と女の子が応対してくれました」 二人の容姿も、自分の夢の本を手渡されたのも同じ。 ここまで共通項が多いとただの夢とは思えない。「夢の本を持って帰ってきたら本が上書きされるって聞いたから試しに持ってきてみたんですけど、本当ですね」 本をめくりながら嬉しそうに結城ちゃんが笑う。 自分の夢の中身が書いてある本を持ってくるなんて、結城ちゃん
そんなこんなで仕事が終わって帰宅すると、ちょうどお隣の木井さんが出かけるところで玄関前で鉢合わせた。 木井さん、珍しくスーツを着ている。「これからお仕事ですか?」「ええ、仕事というか……仕事になるかどうかのお話をしに行くというか……」 木井さんは微妙な感じでお茶を濁す。 この人の仕事ってよくわからないからなぁ……。 もしかしたら喫茶店とか占い師の他にもいろいろやってるのかもしれないし。 夢の図書館へ繋がる不思議な本がうちにあるなんて言ったら木井さんも喜んでうちへ飛び込んできそうだよね。 っていうか、伏木分室の仕事の内容とか話したら喜んで飛びついてくるんじゃないかな? それはちょっと困るから今は伏せておこう……。「お仕事につながるといいですね! じゃあ、頑張ってください」「ありがとうございます」 木井さんはぺこりと頭を下げると小走りで階段を下りて行った。 急いでるところを呼び止めちゃって悪かったかな? そう思いながら鍵を差し込んだ時、階下から派手な音が聞こえた。「大丈夫ですか!?」 慌てて下の階を覗き込みながら呼びかけると、木井さんがよろめきながら姿を見せた。「最後の段を踏み外しただけです~」 いててーと声をもらしながら、右足を引きずってひょこひょこと走り去る木井さんを見ているとなんだか放っておけないような気持ちになってくる。 奥さんもいるからきっと大丈夫だと思うけど、次に会ったら湿布でも渡そうかな? 木井さんのことを心配しながらも部屋に戻った私は、机の上に置きっぱなしにしていた本に手を伸ばす。「リーリエちゃん、この本が夢の図書館へ繋がる鍵になるって言ってたよね?」 でも、どうやって? 考えながら前にスピンを挟んだページを開く。 夢の世界の図書館で会ったリーリエちゃんの肖像画。
私が伏木分室に入ると、奥の部屋から男の人と小津骨さんが話している声が漏れ聞こえていた。 真藤くんとは違う声っぽいけど、始業前なのにお客さんだろうか? お客さんなんて滅多に来ないのになぁ、と思いながらいつもの仕事部屋に入ると、結城ちゃんが壁に耳を押し付けて隣の話を盗み聞こうとしているところだった。「あ、香塚先輩! ワタシ、さっき見ちゃったんです。小津骨さんがスーツ姿のおじさんと奥の部屋に入っていくところ!」「依頼者さんかな? なんか珍しいよね」「グレーヘアをオールバックにした真面目! って感じの人でしたよ。そんな人が怪奇現象対策課なんて怪しい名前のところに来るかなぁ……?」 たしかに、頭の固そうなおじさんはこういう所に来るイメージはないかも。「真藤くんは何か聞いたりしてないの?」「聞いてないっスー。朝来たらもうおじさんが立ってて、おつぼねさんと奥の部屋に行っちゃったっス」 まさかの一番乗りだったとは。 それにしても気になるのが……――。「真藤くんさ、どうして小津骨さんのことを『お局さん』なんて呼ぶの?」 毎回怒られるのをわかっていてその呼び方をするってことは、親子であるが故の照れ隠し? なんか、真藤くんってそういうタイプじゃない気がするんだけどなあ。「え? おつぼねさんだからおつぼねさんって呼んでるだけっスよ?」 え? もしかして私が勘違いしてただけで小津骨さんってあの字で「おつぼね」って読むの? でも自己紹介の時にしっかり「おつほね」って名乗ってたよね?「一番年取ってて偉いオバサンを『おつぼねさん』って呼ぶっス。ドラマで見たっスよ。もしかして、こーづかさん知らないっスか?」「……あ、え?」 真藤くん?? お局さんって言葉は現実よりドラマの世界で聞くことが多いのはわかるけど、なんかちょっと違う覚え方してる気がするなぁ。「真藤